江戸の水不足を解消
コロナ禍ですから人混みや公共交通機関の利用は避けて、ドライブがてら羽村市郷土博物館に行ってきました。
最近は歳をとったせいか、都心に行く機会はめっきり減り、地方や郊外のその土地の文化に触れることが楽しくなっています。
自然を見ると気持ちが豊かになりますね。
さて、何気なく選んだドライブ先の羽村市郷土博物館だったのですが、その展示内容を見てびっくり。
この地は古くは縄文時代から栄えていたようで、土器や遺跡も発掘されている様子。
また、江戸時代には、江戸の人口増加に伴う水不足解消のため、庄右衛門と清右衛門という兄弟が四谷まで水を引く計画を立て、幕府が6,000両の資金を与えてこの工事を行わせたとのこと。
工事途中で資金が底をついたそうですが、二人は自分たちの家を売って工事の費用に充てたそうで、これが現在の玉川上水の原型になったようです。
水を引く工夫もさることながら、私財を投げ打ってまで社会のために尽くすという日本人の精神、そして二人の兄弟の偉業に感服です。
羽村市郷土博物館と同じ敷地内に、移築された旧下田家住宅がありましたので、こちらも見学させていただきました。
昔の農家のお宅がそのまま保存してあり、土間には竈門、土間のすぐそばに彩里、そして座って洗う流し等、農家ならではの工夫が満載。
日本建築の素晴らしさを改めて感じることができました。
見学に来られている方々も、私たちのような中年夫婦、小さいお子さん連れのご家族、成人したお子さんと一緒のご家族など様々。
中にはご高齢の方が、自転車ツーリングの最中にお一人で立ち寄られている方もおられました。
皆さん、懐かしさを感じるのでしょうか、見学の滞在時間も比較的長めのようにも感じました。
羽村市郷土博物館と下田家住宅の間には、中里介山の大菩薩峠記念館の正門として鎮座していた赤門も移築されていました。
場所が少し分かりにくく、ひっそりとした郷土博物館ですが、東京の歴史を学上でも是非とも訪れていただきたい場所の一つです。