横穴墓群
岩殿山安楽寺(吉見観音)を出て、関越自動車道 東松山インターに向かう途中で、偶然、吉見百穴という看板を見つけました。
以前から、一度行ってみたかった観光地でしたので、早速、寄り道することに。。。
なんと、古墳時代の後期(今から約1,400年前)に作られた横穴墓群だそうです。
明治20年、当時東京大学大学院生だった坪井正五郎博士が発掘調査を行い、玉類、金属器、土器類などの多数の遺物が出土し、その後大正12年に国指定史跡となったとのこと。
墓群の数は、吉見百穴という名前がついてるものの、実際は219墓。
沢山あるということが言いたいための命名でしょうから、正確性は問わないのだと思いますが、それにしても、たいした道具もない時代によく人間がこんなに横穴を掘れたものです。
改めて、昔の人たちの技術と努力に感銘。
しかも、昭和19年〜20年にかけて、吉見百穴とその周辺の丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られたそうです。
今でも通行可能な直径3メートル程の開口部を持つ洞窟が地下軍需工場の跡も残っています。
これは、太平洋戦争の末期、米軍の大規模な空襲によって日本の航空機製造工場の生産能力が1/10程度にまで落ち込み、空襲を逃れるため大宮にあった中島飛行機工場をこの地下に移転するために作られたものとのこと。
しかしながら、結局完成まで間に合わずに終戦を迎えたそうです。
吉見百穴は、色んな意味で歴史を感慨深く感じることの出来る場所でした。